離婚活動&国際再婚までの軌跡

離婚活動と言語交流Tandemを使って国際再婚を目指すブログです。

自己紹介。学生時代編。

自己紹介で進言していた通り私の経歴を書いていこうと思います。
まずは学生時代までの経歴を書こうと思います。
公立の進学校を卒業し、
一年浪人して19歳で京都大学工学部電気電子工学科に入学。
2回生の時に精神のバランスを崩す。
主な主訴は髪を洗ったときに抜け毛が気になり、
自分の後頭部のあたりが毎日気になり、
街行く人が皆自分の後頭部をジロジロ見ているのではないかと
思いはじめそればかりが気になり、
病名を付けるのなら醜形恐怖とでもいいましょうか、
とにかく自分の容姿が気になり、
とても心が不快な大学生活を送っていました。
髪を洗った後に排水溝に残った髪の毛の数を毎日数えるくらい
抜け毛に敏感になっていました。
容姿にもコンプレックスがあり、抜け毛のことも気になるので
このままだと彼女も出来ないんだろうなと思っていたところ、
メル友として仲良くなった松たか子似の薬学部の彼女ができて、
おお喜びした自分を覚えています。
これで自分の醜形恐怖も物色できたかと思いきや、
やはりメンタルの不調は続いていました。
大学院に進学希望だったのですが、
心を崩したまま望んだ大学院試験に落ち、
薬剤師の卵であった大好きな彼女とも別れる。
メンタルの不調を感じながらも
大学は留年もすることもなく23歳で大学を卒業するが
就職が怖くて実家に戻りそのままひきこもる。
これだと社会不安障害なのかなと今振り返ると
思ってしまいます。
醜形恐怖社会不安障害に似たものもあったのでしょう。
引きこもっている時初めて死にたいと思いはじめる。
このままでは本当に自殺してしまうと思い、
メンタルクリニックに通院したがあまり通わなくなりました。
この時何の薬が処方されたのかは覚えていません。
恐らく抗不安薬が処方されたのかと思いますが、
あまり効きませんでした。
その後24歳の時はずっとひきこもり状態でした。
昼夜逆転した生活を送っていました。
この頃は親にも迷惑をかけていることも痛感していたので
とてもつらかったです。
このままではいけないと思い、
25歳のときに精神保健福祉士の資格を取得することを決め、
専門学校に一年間入学しました。
精神保健福祉士の国家試験に合格するも、
就職の際にまたしても引きこもってしまいました。
ある精神科に面接に行ったところ、
京大卒の学歴を面接官が見て、
あなたにはもっと他の職場があると思うと言われました。
ここまでが学生時代ということになるのでしょうか、
この頃はとにかく社会に出るのがとても怖かったんです。
今では私の世代は就職氷河期の世代と言われますが、
当時の就活状況は本当に酷くて、
京大卒でさえも派遣社員という状況でした。
私は何が怖かったかと言うと、その当時リストラも横行していて、
自分自身も将来絶対にリストラされると思いこんでしまい、
社会に出て働くのが怖かったのです。
自分は机上の勉強しかできない、
実社会で働くことはできないんだと
完全に思い込んでいました。
こうやって25歳まで学生と引きこもりの繰り返しの人生でした。
とてもとても精神的に辛かった人生です。
次回社会人編を書こうと思います。